今、メンタルの病気の人に伝えたいこと
メンタルの病気で入院、通院していたりすると世の中は心を病んだ人だらけではないかという悪い錯覚に陥ることがあります。
病院の待ち時間は長いし、なかなか予約は取れないし、メディアを見るとうつ病が急増しているなどの記述が目にとまります。(実際は自分がそういう記事を読むことで自分を慰めたいだけ、ということが多いのですが。)
そうやって自分の不遇を納得させたい気持ちは分かります。
しかし世の中の大多数は健康な人なのです。世の中は病人だらけであると錯覚しているうちはいつまでたっても病気は治りません。
メンタルクリニックにだけ行列ができているわけではありません。人気美容室は数ヶ月先でないと予約できないところがありますし、高級リゾートにも人はあふれています。
世の中、特に経済は健康な人によって成り立っています。彼らは生きることにワクワクしており、毎日を楽しんでいます。
何が言いたいのか?メンタル疾患をもつ、うつ病患者に喧嘩を売りたいのか? 違います。
私たちが人に接する態度で、世の中は私たちに接してきます。病気なんですよ、と人に訴えれば人は病人として私たちに接してきます。
うつ病ならば人々は優しく接してくれるでしょう。ただし、そこまでなんです。うつ病を治すという愛が勝ってしまって、その人本来が持つ能力を社会で伸ばそうとまではしてくれません。
ですので本当に病気をよくして社会復帰したいと考えているのならば、しっかりとした休養が取れた後は、自分は病気であると人に言わないことです。健康そうにふるまうのです。
森田療法では「外相整えば内相自ずから熟す」と言います。
明るく健康そうに振る舞うと、人は社会復帰の後押しをしてくれるばかりか、俺と一緒に仕事をしないかなど、健康な愛を持って接してくれるようになります。
お金も健康な愛のあるところに集まります。
世の中の成功者たちは、世の中は健康な愛情、善意で回っているということを知っているのです。
健康な愛情で世の中に訴えかければ健康な愛情が返ってきます。この仕組みでビジネスは回っています。
まとめます。
①:世の中の大多数は健康な人です。愛情に満ちあふれています。私たちはメンタルクリニックにかかっているから、世の中はうつ病だらけだという錯覚をしています。
②:しっかり休養を取った後は、健康そうに振舞いましょう。お金も善意も世の中の大多数、つまり健康な人に回ってきます。健康そうにふるまえば、社会復帰が簡単になります。社会が応援してくれるようになります。ビジネスも成功します。
どうか、世の中を愛情を持って眺めてみてください。きっとあなたに愛情が返ってきます。
危険な素人カウンセラーの見分け方
危険な素人カウンセラーの見分け方について述べます。人生経験だけでカウンセラーはできません。
人生経験とはいわば主観です。あなたの苦労と他人の苦労は違います。
心理学は長きにわたって人類が積み上げてきた学問、つまり客観性と再現性を重視します。
ゆえに既存の心理学の知識を軽視し、自分の人生経験と持論を展開するカウンセラーは危険です。
カウンセラーが持論を押し付けて、自分だけが快感を得ている可能性もあります。(主観の押し付け)
本当にそのカウンセラーの元で人は治っていますか?
繰り返しになりますが、現代で教育される心理学の知識とは長年の淘汰を生き抜いてきた「効果性と再現性の高い理論」です。
知の巨人が科学的洞察に基づいて生み出し、長きにわたって生き延びてきた心理学の知識を一介のカウンセラーが軽視していること自体が異常なのです。
もう二つ、危ない素人カウンセラーを見分ける方法があります。
それは、本人が言っていることと、やっていること、私生活が一致しているかです。
例えば幸せな人生を送るためのハッピーセラピストなる存在がいたとしましょう。
そのセラピストの私生活はハッピーですか?ハッピーだったら大丈夫。
幸せをうたっておきながらそのカウンセラーの私生活が全然ハッピーじゃなかったら、危険です。
傷口を深くする前に逃げましょう。病人に病気は治せません。
最後に。あまり言いたくはないのですが、客にフリーターやニート、30代になっても夢を追っているような人間ばかりが集まっているカウンセラーは危険です。彼らはカウンセラー に依存しています。
★まとめ
①:人生経験だけではカウンセラーになれません。人生経験は主観です。
②:時代を生き延びてきた心理学の知識を軽視し、持論を押し付けるカウンセラーは危険です。持論は主観です。誰に対しても効くわけではありません。
③:言葉と行動が一致しているカウンセラーを選びましょう。ハッピーカウンセラーと言いながら私生活が全然ハッピーじゃない人物は危険です。まさに論語読みの論語知らず。病人に病気は治せません。
④:フリーターなど地に足がついていない人が集っているカウンセラー も危険です。彼らはカウンセラーに依存し、いまだに思春期のような夢を語り、自立しようとしません。
以上です。エセカウンセラーに気をつけてください。
医者二世・二世議員は役に立つ
医者の家系、政治家の家系というものがあって、自分はどちらも世の為になっていると思う。(もちろん、人並みの人格者であることが最低条件)その理由を説明したいと思う。
医者の場合、親ができなかった医療を、その志を継承した子が実現している場合がある。
例えば、私のお世話になっている精神科医のお父さんも精神科医で、その情熱は徹底していて、他の職員と同じように職員住宅に暮らし患者さんと目線を合わせて治療に当たっていたとのこと。
お父さんはアルコール依存症含めた患者さんを何とか精神病院で治療させようとしていたが、病院だけでは治療は完結しないことに気付いていたそうだ。
その後を追った息子は父親譲りの誠実さで医療に取り組み、ついには病院でできることの限界をふまえ病院と地域が総がかりとなって患者さんを支えていく仕組みを作り上げた。
そして今、この病院の噂が噂を呼び、県内外から患者さんが押しかけ平日には初診も含めて80人以上/医師の診察が行われている。この地域の理解も深い。
またこの医師は休日になると県内外の断酒学校や研究会に生徒をマイカーに乗せて、自らも勉強に行く。まさに医者の鏡である。
このように医者二世は、親から情熱、ノウハウ、人脈、意志を継承しており、医者一世にはできないことをやってしまう。
政治家も同じであろう。
ここでは批判の集まりやすい医者二世や二世議員を取り上げたが、実は何の職業であれ、親のやっていた職業で成功している人は結構多い。(商売人の子は起業家になっていたりする。)
よって、親と同じ職業を選ぶことは案外成功につながると思っている。
人生の進路に悩まれている方は親の職業にならってみてはいかがだろうか。
日常的苦悩の医療化とホモ・サピエンス
病的絶望のみならず、日常的悲哀や実存的苦悩すらも薬で治そうとする「日常的苦悩の医療化」が精神科医に蔓延する中で、薬は飲まぬと覚悟し、生活習慣を正し自動思考の健全化を図る個人は勇敢である。
また、「日常的苦悩の医療化」を危惧・理解し薬を最低限しか処方しない精神科医こそ真の医療従事者である。
特に依存症専門医はメンタル疾患、依存症は薬は一時しのぎにすぎないことをよく知っており、治療では自助会を通じた人と人との繋がりを最重要視する。
社交不安障害、強迫神経症、アルコール依存症、ギャンブル依存症、摂食障害患者には共通した特徴があり、それは自己肯定感が低いことである。
よって自分自身をさらけだすことに困難を感じ、他人との間に真の信頼関係を構築することが苦手である。
彼らには生育環境もしくは日常生活において何らかの心理的苦痛が存在し、誰も信じられず頼ることもできない世界の中で、身近にあって手っ取り早く安堵感を得ることのできる酒やギャンブル、食に走る。
そうした行動が強化学習された結果が依存症である。
よって彼らは自助会を通じて、人と人のふれあいの温かさを学び、自分もよくやってきたよなと気づくことで自己肯定感を高めていくことが必要なのだ。
また、自分をさらけ出しても受け入れてもらえて、仲間から愛されているという安堵感が必要なのだ。そうすれば酒に走る必要もなくなる。
原始、私たちホモ・サピエンスは天敵から身を守るため、仲間とつながり・分かち合い皆が暮らせる社会を作ってきた。
つまりホモ・サピエンスの遺伝子の中にある原初的な本能は仲間を作ることであり、仲間を作ることによって人間はもっとも大きな喜びが得られることを私たちは本能的に知っているのである。
メンタル疾患で悩んでいる方は是非とも自助会や人と人が触れ合う集まりに参加し、自分が無条件に愛される経験を通じて自己肯定感を高めていってもらいたい。
そうすれば病はきっとよくなるはずだ。
それって病気なんですか?
自分が病気で苦しんでいた時、
ある整体師に言われた印象深い言葉がある。
その病名誰が言ったんですか?
医者??でそれを信じたんですか??
それって本当に病気なんですか?と。
あまりに唐突だったのでびっくりした記憶があ
る。お前に何が分かるのかと思った。
そう思いながら帰宅していた時にふとひらめいた。
確かに、これは病気ではなく、個性だと。
もしくは単に溜まっているか、睡眠が足りてい
ないだけじゃないのかと。
もしくは、どうしても人とうまく交流で
きないのなら、話し方の練習をしようと。
確かにメンタル疾患?と診断されている時は本
当に苦しい。
自分以外には自分の苦しみなんて理解されない
。自分はひどい親に育てられたし、いじめも受けたんだ、と。そんな気持ちになることは分かる。自分もそうだった。
だが、考えてみてほしい。人生誰もが持つでろう苦痛、苦労まで薬でかき消そうとしていないかと。
それって病気なのかと。個性じゃないかと。
もしくは溜まってるだけじゃないかと。
ただ変わろうとするのを、もっともらしい病名
のせいにして逃げているだけではないのかと。
私は病気なんですよ、できない人間なんですよ
と言い続けているうちはいつまでたっても病気
である。なぜなら、その言葉は自己暗示、自己
達成予言になっているからだ。
どうか自分の病気を個性、もしくは単に溜まっているだけと考えて、私って素晴らしいという思いで生きてほしい。
しっかり睡眠を取って、いろいろな方法でリラックスしてみて欲しい。
案外、メンタルの病なんて単なる睡眠不足だったりするものなのだから。
自宅と遠く離れた病院に入院するメリット
自宅、実家と距離が大きく離れた病院に入院するメリットはとてつもなく大きい。
特にメンタル疾患。
知り合いと関わりのない新しい世界はメンタル疾患の人を本当に健康にしてくれる。
知り合いのいる街で休むということは本当に気を使うし、気が滅入るのだ。こんな弱った自分を見られたくないから。
知り合いのいる場所では、休職中、人目や世間体が気になって堂々と遊ぶこともできない。
誰が見てるか分からん状況で遊べるわけがない。
遊びは一番の癒しなのに。
そこで、隣県やちょっと離れた県の病院に入院してみる。実家に帰省するのもいけない。実家から離れた市や県の病院に入院する。
もちろん口コミや評判などは調査しよう。
現在の主治医に聞いてみるのもいい。
そして新しい病院でしっかり休養したら病院に外出届を出し、新しい街を散策してみるのがいい。
誰も知り合いがいない土地なのだから人目を気にせず、堂々と遊ぶことができる。
相当気が楽になるのだ。
よって、治りも断然早い。
これは間違いないので是非試してもらいたい。
うつ病、メンタル疾患に効く本
自分がどういう病気なのかを解明する医学書や
「うつ、〜病の治し方」らの本を読むことはうつやメンタル疾患の治療にとって逆効果。
何を読めばいいか?
現実逃避でも構わないから、今自分はこういうことをしたいとか夢を見させてくれる本を読むこと。
転職できる可能性は100%ないという現実があったとしても、妄想でもいいからゲームクリエイターになりたかったらゲームの本を読みまくるとか、こういうゲームを作りたいとか、妄想をかきたててくれる本を読む。
自分は、できもしないのに起業家に憧れるので起業家の本ばかり読んでいると癒された。もちろん、成功者の本を読んで落ち込む自分もいるが、妄想の中で楽しめている要素の方がもっと大きい。
病気の本は離れて、現実逃避できてワクワクできる本を読もう。いつのまにか病気は良くなっているはずだ。
アルコール依存症は人間関係の構築で回復する。
アルコール依存症良好な人間関係の構築で回復する。
依存性は信用障害である、と感ずる。
要するに、うまく人間関係が築けない。
他人を心から信頼することができるようになればメンタルの病の回復は早いと感じている。
酒に逃げなくて済むから。
人間は本能的に、仲間とつながることにもっとも幸福感を感じるのだ。
そこで、しばらくの休養のあと意欲が湧いてきたら、AAや断酒会に出席し、自分と同じような病気の仲間に本音トークをぶちまけよう。
同じ病気をもつ仲間ならきっと分かってくれる。
また、便所と風呂でソーシャルスキルの練習をしよう。あの人にこう話しかけたいな、という願望があれば、そのセリフと表情を練習する。
私は高校時代にいじめられてから人前で笑えなくなったがソーシャルスキルは練習しかないと諦め、練習している。
酷な運命だが乗り越えよう。
明るい人は明るく振る舞っているから明るい
明るい人は明るく振る舞っているから明るいのであって、明るい人にも暗い話振ったら
暗い人になる。
つまり、明るいということは主体性なのだ。
安全なメンタル復職の方法
メンタル休職をする人は完璧主義が多い。
その点で、復職した際には
最低限なにをしないといけないか。
それさえ把握して行動すれば十分。
いきなり100しようとするから再休職してしまう。
ちなみに休職中の考え方としては
復職計画よりも健康になることの方が重要。
復職計画を立てると、毎日自己研鑽しようとか
焦って、本来の目的から逸れてしまうので注意。
今回は以上です。
簡単にメンタルクリニックに行くな。
簡単にメンタルクリニックに行くな。
※全員が全員ではありません。日常生活が普通に送れている方向けです。
災害で家を失った方が精神科にかけこむんですか?精神科医にかかれば失った家が建つんですか?
皆さん、現実と向き合い、つらいながらも生きているんです。
普通の人は便秘になったら内科に行ったり、コーラックに頼ったりせず、生野菜のサラダを食べたり運動したり、生活習慣を変えるはずです。
精神もそれと同じ。
精神科は人生のショートカットです。
薬では本当にメンタルなんて治りません。
メンタルの不調は、今のあなたの生き方・ライフスタイルは間違っていますよ、と身体が教えてくれてるんです。
自分と真剣に向き合えば
考え方・生活習慣を変えるだとか仲間を作るだとか、趣味にハマるとか、転職するだとか道はいくらでもあるはずです。
戦争に召集されたわけじゃないんだから。
勇気を出して、プライド放り投げて自分を大切にしてあげてください。
そうしたらメンタル疾患は治ります。幸せな人生になります。
病気は病人には治せない。
病気、特にメンタル疾患は病人(傷を負った医師やカウンセラーなど)には治せない。
私は以前、メンタルの不調に苦しみ、巷にあふれるメンタルクリニックの医師、各種カウンセラーにお世話になったことがある。それには保険の効かない〜セラピストなども含まれる。
そこで気付いたことがある。
治療者は、未だ自分自身の傷が癒えていない治療者と、既に病を克服して真に健康になって人生を楽しんでいる治療者に分かれていると。
前者の明らかに自分の病が癒えていない治療者は言う。「私も過去にこんなに苦しんだ。だから、あなたの気持ちが分かる。寄り添おう。」と。
いやいや、あなた、今もその傷癒えてないですよ。言葉と日常が一致してないじゃないですか。全然リア充でもないし、何が過去は苦しんだ、ですか。今も苦しんでるじゃないですか、と。
病んだ治療者には客観性がない。主観的であり、自分の世界にひきずりこもうとする依存性を感じる。
真に病を克服し、人生を楽しんでいる人のように、客観的な立場に立って患者を眺められない。
(ただし病んでいるとは言え、医師や臨床心理士さんなどは膨大な科学的知識があるので、辛うじて知識で客観性を保てている方もいる。)
なので、メンタル不調に苦しんでいる方は
本当に健康で、生き生きと生活しており、
言葉と生活が一致しているリア充、健康な治療者にかかった方がいい。
でないと元気はもらえないし、治らない。