天才と発達障害(岩波明)
発達障害者に勇気を与える著かと思いきや、単なるコピペ本であり、かつ引用を元にした新しい考察や提言もない。
さらに、天才の迷惑な部分が強調されて記述されており、発達障害ライクな特質をバネにどう前向きな振る舞いをしたかと記述が少ない。私はそれが知りたい。
私感として精神障害や発達障害、いや猪突猛進で何事かを成し遂げようとする人物には過酷な生育歴も多いに影響されていると確信していて、例えば野口英世は、貧困や火傷のコンプレックスをねじ伏せるかのように努力しているし、それが発達障害なのかは 疑わしい。いわゆる相関はあっても事実なのかは分からない。
大多数の何の業績も上げられない精神疾患や発達障害者は迷惑な変人として煙たがられる傾向にあるが、そこから何とかして世の中に認められたいと必死であるから、
その提言と普遍的な方法が望まれるのである。
浪人、病気、休職の期間は『0』ではないということ
浪人をしたり、大病をしたり、休職をしてしまったり人生に停滞はつきものだ。
しかし、忘れてはならないのが停滞時期は『0』ではないということ。
普段通りの生活を続けていた場合の人生の進捗を1とするならば、
停滞中は0.3 or 0.5 場合によっては 1.3 になり得る。
1+1+1+、、、の人生だったのに1+0+0になってしまってと嘆く必要はない。
1+0.3+0.5+というふうに人間は何かしら進んでいる。
私の場合の休職は2.0であったと感ずる。30代後半に休職をして入院。
※知り合いの全くいない土地で転地療養したことが何より大きい。
休職中は遊ぶことも気まずいが、それは知り合いの目を気にしているだけである。転地せよ。また、休職にまで至ってない方で人生に疲れている方がいれば、自分が全く行ったこともない土地の安ビジネスホテル(お金があれば温泉旅館)を週末予約し、その土地をブラブラするだけで傷は癒える。
そこでマラソンを習慣とすることができ、禁酒にも成功し、食生活も大幅に見直した。それによって不眠は解消し、二十年間悩んだ便秘も解決し、今は日に2度は便通がある快便人間である。読書も大量にこなし、人生観のアップデートも完了した。
また長年、険悪だった両親との関係も良好となり、いいことだらけである。
20年間の膿出し作業を、傷病手当という形で支えてくれた会社に感謝したい。
休職というとネガティブイメージが強いが、貪欲に自分に合った医療機関を探し当てることができれば、飛躍の準備にすることができる。
なぜ当事者はマウントを取りたがるか
なぜ当事者がマウントを取りたがるか、それは治療者の発言が心に響かないからです。
つまり典型的な医師と臨床心理士は”規範に縛られた言葉しか言えない。”(“”内はTwitterでの@kaikaidevさんの言葉)つまり、自分の言葉がないんです。
私は自助会における当事者の治りの遅さの根底には自助会任せの治療者の傲慢があると思っています。底つきの前に気付かせてあげることが本来の姿。
そのためには自身や病気をメタ認知できる知性を持った当事者と医療関係者の交流が重要だと思っております。
そこから真の治療法は確立されると思っております。
【規範に縛られた言葉しか言えない】は本質をついた言葉。典型的な医師と臨床心理士の弱さはここにある。そこを在野のカウンセラーがどう補っていけるか。これは『当事者』つまり『病気の体験者』であること、あったことが強く求められる。知性のある当事者とプロが交わったとき真の治療法が確立される https://t.co/q3qQzlPRr4
— 当事者とプロの架け橋 (@morita_ryo326) September 3, 2018
この投稿の発端は以下のツイート。
本質を突いていると思います。
心理臨床学会行ってきました。面白かったのは摂食障害のカウンセリングを専門にやっている方の「傾聴は効果がない」という話。痩せるということに囚われたクライエントの悩みの語りは、体重や飲食のことに終始してしまい、本質的な困難が表出せず堂々巡りする。
— 西井 開 (@kaikaidev) September 1, 2018
そのため、傾聴ばかりではなく、痩せたい食べたいと思う気持ちを外在化させ、本質に迫る問いかけを行うとのこと。
— 西井 開 (@kaikaidev) September 1, 2018
これはグループでも言えることで、問題に直面している当事者同士が話し合っても、従来的な考え方や伝統的規範の焼き直しになりかねない。
リプライありがとうございます。私が取り組んでいる男性問題もおそらく似たようなところがあって、つまり規範に縛られた言葉しか言えないということが起こるうる。また機会があればいろいろとお話伺いたいです。
— 西井 開 (@kaikaidev) September 1, 2018
依存症とメタ認知
自分をメタ認知つまり客観視できる知性は依存性の治療にかなりの力を発揮します。医療従事者も高機能型とステレオタイプ型を区別する必要があるでしょう。
例えば高機能アルコール依存症は自分をメタ認知し、改善策を取ることで破滅の前にふみとどまれる確率が高いのですが、ステレオタイプ型のアルコール依存症の場合、本人は反省していいところまでいってるんだけれども、どうすればいいのか分かっていない。自分をメタ認知できない。真の反省がやや少ない。家族・仕事を失い、ようやく自分に気付き始めるが、まだメタ認知まで至ってない。この場合、傾聴や、自助会に見られる言いっ放し・聴きっぱなしでは足りなくて、専門家の根気強い対話が必要。
アルコール依存症の自助会にはAAと断酒会がありますが、感覚的に母集団のIQが20ほど違う気がしている。
AAが高機能アルコール依存症が好んで参加するに対し、断酒会はステレオタイプのアルコール依存症患者が参加する傾向がある気がします。
AAは理念が抽象的なので、入会の時点でふるい分けられているのでしょう。
医療従事者の姿勢としても、高機能型とステレオタイプ型を分ける必要がある。
高機能型はモンテッソーリ教育のように、本人に気付かせる。彼らは内省して自分をメタ認知して、勝手に気付いて断酒していく。
ステレオタイプ型は傾聴だけでは✖️。患者を客観視した上で精緻な指針を与える必要がある。
冷たいようですが、高機能型とステレオタイプ型を同じ扱いにすると、高機能型の自尊心がひどく傷つき治療が遅れるため区別する配慮が必要だと強く感じております。
精神科医・臨床心理士と自営業のセラピストの違いとは
ずっと心の中で答えが見つからなかった
と
◆資格を持たない治療者(自営業のセラピストなど)
の違い。
ついに答えが出つつあってその結論は「人を治せるのであればどっちも同じ」ということ。
要するに治療者としてのベクトルの向きは同じで、後はそのベクトルの長さ(実力、提供できる環境)次第だと。
権威主義の自分は「経験と知性に裏打ちされた精神科医に勝る自営業のセラピストなどいない」と考えていたが、経験と知性をもったセラピストもいるもいるわけである。
むしろ、力量が同じなら、薬を出す精神科医よりも自営業のセラピストの方がマシかも知れない。精神科医は投薬、入院しか提供できない方が多いが、自営業セラピストの場合、仲間との交流やパーティーの機会があり、より人生を前向きに進められる。
以上は精神科医と自営業セラピストを数多く渡り歩いてきた人間の個人的感想である。
どちらを選ぶかは皆さん次第だ。
カウンセリングの定義
カウンセリングの定義。
クライエント自身に問題を解決する力があると信じ、言語的手段を用いながら、自己理解を深める手助けをすること。
つまり、カウンセラーはあなたを信じている。あなたが一歩を踏み出す日を信じている。
メンタル疾患での自暴自棄の先にあるものは死ではなく病気という生き地獄およびその治療法
メンタル疾患での自暴自棄の先にあるものは死ではなく病気という生き地獄およびその治療法
自殺しかけた人間or医療関係者ならよくわかると思うが「人間は簡単に死ねない」。
自暴自棄になって大酒飲もうが、タバコ吸箱吸おうが、睡眠薬飲もうが、「死にいきなり至るのではなく、必ず病気を経由する」。
つまり自暴自棄の先にあるものは死ではなく病気という生き地獄なのだ。
簡単に死ねるなどと思ってはいけない。私も数多くの「自暴自棄」をして死のうとし、心不全で救急搬送されたり、病気で病院に入院をした。
病気という安全弁がある限り、人間は死ねない。
逆に言えば、それらを乗り越えて首を吊ったり、高所から飛び降りたりするのは、よほどのことなのだ。
中途半端な自暴自棄者に言いたい。死を甘く見てはいけない。待っているのは病院での延命治療と周囲への迷惑だ。
ただしここに救いがある。
『生きている限り、そこには必ず助け舟がある』
今苦しい方は、とにかく生き延びることだけを考えて欲しい。自暴自棄になるのではなく、ベットや布団に寝ているだけでもいい。体に害はないのだからマンガ読んだり、ゲームだけするのもいい。
なんでもいいから、タバコや酒に頼るのではなく、「生き延びる」のだ。
わざわざ自暴自棄になって酒を流し込み、病気になるメリットはない。後で後悔するだけだ。それなら寝ているだけでいい。
最後に、自分の考える究極の療養方法をお教えする。これは借金や生活保護を受けてでも行って欲しい。
メンタル疾患に苦しむ方やひきこもりの方にも効果的だと思う。
それは『自宅実家から遠く離れた精神病院に入院すること』※ネットで最低限の口コミは調べる。親に土下座してでもぶちこんでもらう。
自宅や実家から近いどんな名医にかかるより、これは有効なのである。
誰も知り合いのいない場所は、人を開放的にさせる。これは強い。病院には同じような仲間もいる。規則正しい食事、生活。みるみる回復する。
一ヶ月もすれば、意欲がむくむくと湧いてくる自分に気付くだろう。私もそうだった。入院前は死を意識していたが、一ヶ月後には自分の悩んでいたことがしょうもないものに感じた。生きる希望が湧いてきた。
あまりにも暇すぎるなら外出届を出して街を散策してみる。旅行気分になるはずだ。
ああ、生きていてよかった、そう感じる日が来るのだ。
どうか生き延びよう。
ACTと森田療法は同じ
ACTと森田療法は実は同じ。
ふろむださんの以下の記事を読んでACT(第三の認知行動療法)を学んでいた。
◆ふろむださん記事
https://fromdusktildawn.hatenablog.com/entry/2018/06/11/110932
◆ACTならこの本
悩みにふりまわされてしんどいあなたへ 幸せになるためのいちばんやさしいメンタルトレーニン [ 志村祥瑚 ] |
すると「あれっ、これって森田療法と同じじゃね?」と気付いた。
◆森田療法ならこの本
流れと動きの森田療法 森田療法の新しい世界 [ 岩田真理 ] |
ACTも森田療法も、あるがままの感情を排除せず素直に認め、当座の目的を達成するために行動すれば気は晴れるという考え方である。
例えば人前で話すのは恥ずかしくて当たり前であり、これを排除しようとせず恥ずかしいながらも話し続ければ気は晴れていくのだと。
そりゃ、誰だって人前で話すの恥ずかしいわ。
なんでそこで薬やねん、と。
Googleで検索すると早速文献が出ていて、ACTと森田療法が酷似していることが指摘されている。
◆ACTと森田療法の類似性に関する文献
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpm/57/4/57_329/_pdf
驚くべきは、ACTはつい最近 第三の認知行動療法として出現したに対し、森田療法は80年前もに森田正馬という日本人によって考案されていた点だ。
残念ながら、80年前から現在まで日本ではフロイト心理学が幅をきかし、森田療法は主観的で分かりにくい治療法として敬遠されてきた気がする。
私は、精神科はやがて薬物療法の限界が広く知られるようになり、その中でACTと森田療法はこれからますます輝きを増していくのではないかと考えている。
なぜなら、上述したように人生におけるありふれた苦悩そのものを薬で消そうとする発想自体がおかしなものだからだ。
誰だって仕事はきついし、親が死んだらつらい。それを薬で消すのではなく、真正面からぶつかってつらいつらい思いながらも行動していく。そこに人間の進歩がある。
メンタルクリニックで薬もらって、人生乗り切っても本人が変わらなければ、次また同じ問題が出たときに同じことが起きる。
今後、ACTと森田療法が実は同じものであるという理解が進み、両分野の学者、臨床に携わる方が歩み寄り、より大きな実践体系を構築されることを望んでいる。
生存者バイアスは実は正しい
生存者バイアスは実は正しい
生存者バイアスを強者の理論だとして叩く人物はいつまでたっても弱者のままである。
というのは「人の話は素直に聞こう」というものだ。
実は生存者バイアスには次に活かせる前向きな知見が含まれるが脱落者バイアス(自分の造語)には主観に基づいた屈折した理屈しかないのだ。
例えば、
成功者だからそんなこと言えるんだろ、、、
とか
俺もイケメンに生まれてたらできてたし、、、
とか
生育環境に問題がある人間の気持ちなんて分かるんですか
などなど
これらの脱落者バイアス聞いてなんかメリットありますか?
全然前向きじゃない。
私たちは愚痴につきあっているほど暇ではないはずだ。私たちは健康で幸せになりたいはずだ。
たとえ生存者バイアスが強者の理論だとしても、生存者バイアスは前向きに生きる知見が含まれている。
すべてはできないにしても、それを素直に聞いて、少しずつ初めていこう。
落合陽一とか、うなぎみたいな顔した編集者の箕輪氏とかホリエモンとか成功者の言うことにまずは素直に従ってみよう。
【用語】
生存者バイアス・・・淘汰された者、脱落者を無視し生き残った者の生き方・考え方のみを正しいとする、いわば強者の理論。
生保レディーから支店長まで上り詰めた母ちゃんの偉大さ
生保レディーから支店長まで上り詰めた母ちゃんの偉大さ
私の母はDVの父と別居時、私と弟を救うため生保レディーの世界に飛び込みました。
私は工場に勤務したことがあるので良くわかるのですが、従業員たちが食堂でメシを食い終えた後に生保レディーの方々が列をなして勧誘してくるんですね。
私はこの光景をはじめて目にした時、あやうく号泣しそうになりました。『こうやって母は自分と弟を養ってくれたのか』と。
その母は、一介の生保レディーから支店長にまで上り詰めました。短大しか出ていなくて、本もあまり読みませんが年収は1000万を軽く超えていました。
心から尊敬できる親です。
ここで、ふろむださんの本を読んで思いました。
昭和の価値観って大切だなーと。
母ちゃんが良く言ってました。
『人間、気持ちじゃけん。お世話になった方にはお中元・お歳暮お送りよ。』
人間、実力だけじゃ出世はできない。
やっぱり母ちゃんはすごかったんです。
コミュニケーション能力のみならず世渡りがいかなるものかよく理解していた。だから大出世したのだと思います。
人間は周囲の人に生かされています。
決して自分だけの実力で人生のし上がれるなどという横柄な考え方を持たずに、人に好かれる人物を目指していこうと思います。
◆人生は実力だけではないことを教えてくれる本⬇︎
人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている [ ふろむだ ] |
【自覚と悟りへの道】(1) 私小説
『ヒャウ!ワウ!』
階下にいる認知症のおじいさんの叫び声がここ最近のモーニングコールだ。
長い眠りから目覚め、朝風呂を済ませて北中淳子著「うつの医療人類学」をめくり始める。文化によってうつの構造も異なるという面白い学問だ。この理屈によると、日本の自殺者が多いのは日本特有の社会構造と文化によるとも思える。
さて、私がいるのは人口10万人にも満たない地方都市の精神病院。いわゆる閉鎖病棟ではあるが、外出はおおむね許されており買い食いも自由だ。酒はむろん禁じられており、飲酒がバレたら即刻鍵のかかった反省房にぶちこまれる。
アルコール依存症で入院中でありながら、二度も院内で飲酒をした女性を私は目撃している。女性患者の大半は摂食障害とアルコール依存症の両方を患っており、人間の生育過程における闇を感じさせる。
彼女たちは決して悪くない。生育過程の中で、無条件に愛情を受け続けるということができなかったのだ。アルコール依存症の私もそうである。
話がそれた。この病院では医局の本棚からは精神医学、臨床心理学の文献を借りることができる。ランニングもできる。夏のこの季節、大自然のパノラマを眺めながら走ることに私は無上の喜びを感ずる。バランスのとれた病院食ともあいまって体重もずいぶん減った。
個室に風呂や机の付いたVIPルームも存在する。私がいるのは、まさしくその部屋である。部屋で読書をし、書き物をする。疲れたら気晴らしに外にランニング。ただし、残念ながらWifiは3Gにしか繋がらない。
この病院は悪くない。今の私にはそう思える。
今思えば私の人生は激動であった。幼少期は「特別な子」としてかわいがられたものの、仕事に忙殺され始めた父親は酒に走り、アルコール依存症となった。その発作から母への家庭内暴力(DV)は止まらず、私と弟は怯えた日常を過ごした。
小学校、中学校では名の知れたお調子者かつ秀才であったが高校時代から周囲の目に敏感となり通学に苦痛を感じるようになる。
女子高校生は「それ」を見逃さない。敏感でオドオドした人物は彼女らにとって最高のストレスのはけ口となるのだ。おかげで私は彼女らから言われなき中傷を受け、なかば不登校気味になりながらなんとか卒業までこぎつける。
1年時には校内2位の学力を誇った私も3年次には凡人に成り下がっていた。過呼吸で勉強どころではなかったのである。
(2)に続く。
(2)以降、現在執筆中。
新版 自覚と悟りへの道神経質に悩む人のために【電子書籍】[ 森田正馬 ] |
私の運命を知った本。
毒親のせいで人生が生き辛くなったなんて誰が言ったんですか?
人に感謝を伝えよう
あなたは苦しみたいですか?
それとも楽になりたいですか?
楽になりたければ人を許しましょう。
自分と他人のためにも。
私は今回の休職に当たり、険悪だった実家の両親に心からの感謝を伝えました。(その前には一騒動ありました。)
病院探してきてくれてありがとう、世話をしてくれてありがとう、と。
すると母は涙を流してこう言いました。こちらこそありがとう、申し訳なかった、小さい頃は夫婦喧嘩ばっかりして、お前が生き辛くなったのは親の責任だと。
その瞬間、どれだけ母親が、無償の愛で自分を支え続けてくれたか 身に染みて分かりました。今、知る人ぞ知る非常に優れた病院に通っているのですが、それこそ草の根かきわけて探してきてくれました。
見返りを求めないのが親、特に母親の愛情だと理解しました。
アル中の父にも、心から感謝を伝えました。父も口が不器用ですが、行動で息子への愛情を示してくれています。
父は自分に相当な学費を捻出してくれました。自分達が困らないよう、裏で財形の仕組み作りもしてくれました。
金は誠意とは言いませんが、愛がないと人に金は出せない。父はそれこそ誠意の塊です。
甘えてました。
子供時代の記憶なんてあてになりません。
親は親なりに、無償の愛情で必死に子供を育ててくれていたのです。結婚して子供までできた身でありながら、全然気付きませんでした。
感謝を自分が伝えると向こうも感動するし、自分の感謝も深まるし、なにより気持ちがすがすがしく楽になります。
私は性善説に同意します。
毒親のせいで人生が生き辛くなったなんて誰が言ったんですか?それって本当ですか?
精神科の処方薬は天才を殺す
精神科の処方薬は天才を殺す
天才は個性である。
精神科医療は天才の感性を投薬によって削ぎ落としてしまう。
天才のもつ感性は病気ではない。
生まれ持った才能なのである。
才能を薬で治す必要はない。
HSP、HSCといった訳の分からない造語に悩まされるな。敏感で何が悪い。
ルボックス、パキシル、サインバルタ、エビリファイ、リスパダール等々。
これらの薬によって天才がどれほど
『普通の人』にさせられたことだろう。
天才は強烈な個性をもつために精神病院に入院させられる。
そうして無理やり投薬されて、せっかくの天分の才である感性が殺されてしまうのである。
SSRIや精神安定剤、睡眠薬の登場によって、世界中でゴッホや太宰治といったタイプの個性がどれだけ殺されたことだろう。
本人にとっては自己表現がなによりであり、治療は苦痛である。
私は現在、幸運にも依存症専門医にかかって処方薬を徐々に減らされている。これは望んだことであり喜ばしいことだ。
これで私元来の感性が戻ってくるのだから。
アンタが知ってる体の害なんて全部本で読んだだけの知識じゃねえか。
“アンタが知ってる体の害なんて全部本で読んだだけの知識じゃねえか。俺なんか10年以上自分の体を使って『臨床実習』してんだよ。知識で俺に敵うはずはない。だが俺は自分よりも知識のねえ医者の元にこうして来ている。なぜだか分かるか?”
引用元:
『SMARPP-24 物質使用障害治療プログラム』
松本俊彦/今村扶美 著, 金剛出版(2015)
の内容を一部改変
自分も同じ気持ちです。自分も大体の若手精神科医よりは知識が豊富だと思っています。特に自分自身が薬も飲んだことのない医師よりは、よほど精神世界がよく分かるでしょう。
私たちは医師の説教が聞きたいのではなくて、医師に治療法を求めに来ているのです。
以上、今日の読書で印象に残った言葉でした。
生前に評価される人と、死んでから評価される人の違い
生前に評価される人と、死んでから評価される人の違い、、、それは
「世の中を愛情を持って眺めているかどうか。」
世の中に愛を持って接すれば愛が帰ってくるし、憎しみを持って接していれば拒否が返ってくる。
亡くなった後になって、ようやく世の中が同情を示し、彼の作品を評価し始める。
なので愛情を持って世の中に接しよう。
これはビジネスでも同じである。