アルコール依存症は立派な病気
アルコール依存症は立派な病気である。
本人がだらしがないとかそう言う問題ではない。
平成26年度の厚生労働省の調査では、アルコール依存症は厳密な診断基準で109万人(依存症予備軍は約400万人、危険な飲酒や有害な飲酒をしている人は約960万人)、しかし治療を受けていない人(未治療率)は実に96%にのぼる。野放しである。
日本では未だに理解が浅いが、アルコール依存症は自己責任と呼ぶにはあまりに過酷すぎる病なのだ。
それはAA、断酒会といった人々の活動を見れば分かる。彼らは勇気があり誠実である。
私が推測するには、酒造メーカーはアルコール依存症が今後深刻化してくることを十分に理解しており、ノンアルコール飲料の開発に余念がない。
欧米と比較し日本は酒害に対する認知が遅れていることも彼ら酒造メーカーは分かっている。世間はいつもマイノリティー(アルコール依存症者)に過酷なのだ。
アルコール依存症は、主にどうにもならない生きづらさを抱えた人々が酒を飲み、その快感が強化学習されて病に至る。CTで脳の損傷も確認することができる。(ただし新しい神経回路を作ればその損傷は取り戻すことができると聞いている。)
この病気に職業や知性は関係ない。
あくまで自分の推測であるが、医聖と呼ばれた野口英世もそうであったと思うし、攻めダルマと呼ばれた徳島池田高校野球部の監督、蔦文也氏もそうでなかったかと思う。
お亡くなりになられた政治家の中川昭一氏もそうであろう。
なぜ周囲は記者会見の前に止めなかったのか。
確か、電気電子工学で偉大な功績を残した有名なノーベル物理学者にもアルコール依存症者がいたと記憶する。いつも吐息が柿臭かったようだ。
飲酒運転で逮捕された人物もほぼほぼそうであろう。
アルコール依存症の入院患者さんの中には、入院中でありながら隠れて酒を飲み、ばれて反省室に入れられる前ですら、最後の飲み納めとして飲酒する方もいると聞く。
つまり飲酒欲求を抑制できない病気なのだ。
今後、不可解な言動をする飲酒者が周知されるにつれ、アルコール依存症がますます注目されていくであろう。
私は1930年代にアメリカで設立されたAAですら、まだ日本では黎明期であると感じている。断酒会にしても歴史は浅い。
なによりAA、断酒会は若者の出席率が低い。
恐らく、恥じらいと無知がそうさせているのであろうが、気付いた時にはもう遅い。肝臓がやられるか脳梗塞を起こすか、心不全で急逝するか。
身体よりも先に、うつという形で酒の洗礼を受けたものは幸せである。
精神科医ですら理解に乏しい医師が見受けられる。(メンタルクリニックの開業医でアルコール依存症に詳しい医師を私は見たことが無い。そもそも患者に飲酒しているかどうかを聞かない。)もちろん松本俊彦氏など極めて博学な専門家がおり日本各地に依存症専門の医師はいるが、まだまだ数が少ないと思う。
文化として根付いている酒にはいい面と悪い面があり、一概に非難することはできないが、マスコミ・政治家含め、酒害・アルコール依存症を理解し100%自己責任とする姿勢を改めていく必要がある。
これはLGBTと同じ問題である。
要はそれがマジョリティーかマイノリティーであるかの違いだけなのである。